神社では手を洗うことを「手水をする」と言います。 日本人は「禊(みそぎ)」や「祓(はらえ)」の習慣を大切にしてきましたが、古くは「禊」は川や海の水に身を浸して洗い清めること、「祓(はらえ)」は度合いに応じて科料(=償いもの)を差し出したり、祓えつ物に移した罪・穢を投げ捨ててこれを取り除くこととしておりましたが、現在それらが区別されず簡略して「手水」になったといわれております。
狛犬のルーツは色々といわれがありますが、オリエントやインドのライオン像などが中国・朝鮮半島を経て伝えられたという説が有力です。日本の犬とは異なる異様な姿が、高麗(こま、=中国東北地方から朝鮮半島北部を支配した国で「狛」とも書きます)の犬だとされたようです。
狛犬は、もともとは宮中で魔を祓うための置物や几帳と呼ばれる移動式のカーテンの重石として用いられていたものです。初めは木製で殿内に置かれていたのですが、次第に外に向かって睨みをきかせるようになり、素材が陶器や石造製のものが現れ、屋外にも置かれるようになりました。参道脇の狛犬は現在では向き合うように鎮座しております。
神社の入口にある鳥居は、神が降りてくる神域と人間が住む世界と区別するためにおかれたものです。起源はインドの仏搭の門や中国の宮殿などの前におかれた華表(かひょう)の門にならったなど様々です。神域へ入る門という位置づけとなり、「通り入る」→「とおりいる」→「とりい」と言葉がつまったとも言われております。
大麻(おおぬさ)と言いまして、木の棒に紙垂(=しで/紙を折り垂らしたもの)を付け、麻の緒を結んであります。榊の枝に紙垂・麻緒を付けて用いる場合もあります。これを左右左と振ることにより、穢れを吸い取るのだと考えられています。
タマは「霊」または「魂」の意味で、クシは「細長い棒」を表します。このタマクシ・タマグシは本来は神威(神様のお力)を頂くためのものでした。明治以降、現在のように神前に捧げるものと改められました。
現在では三方(さんぽう)または高坏(たかつき)に五台ないし七台のお供えを差し上げることになっております。関東の例では香取神社の団子祭りや日光東照宮の例大祭の夥しい数の神饌(しんせん=お供え)をあげる例などもあります。
由来は正確にはわかりませんが、中世以降のものと言われております。「賽(さい)」は室町時代の辞書に見える語で、報いまつわるという意味ですから、神仏への感謝に捧げる金銭を納めたものと言えます。
「いのる」という言葉は「い」と「のる」から出来ています。ここで「のる」は内に秘めていたものを外に現すといった意味があります。「い」はそれを強める語です。そこで「心中に思い詰めていた事柄を神様に申し上げる」ことが「いのる」の本来の意味ということになります。正しい願いごとであれば、早いか遅いかの差はありますが必ず叶えられましょう。邪(よこしま)な願いや道に外れたものは叶いません。一心に祈っても成就しない場合があるとすれば、どこか道理に適わぬものがあるからに違いません。
はい。人間同士で考えてみましょう。お世話になった方があれば御礼に伺うのは当然ですね。まして神様願いごとをしたのですから、「願掛」をした場合は「願解(がんほどき)」をしなければいけません。せめて結果だけでもお知らせするべきです。成就した願いであれば報賽(感謝・お礼)をするのが筋というものです。
正しいこと・明るいこと・建設的なこと・希望的なこと、などであるのが良いでしょう。欲張ったこと・不正なこと・暗いこと・破滅的なこと・絶望的なこと、取り分け呪いの類はいけません。神様がお嫌いになります。
神社に「古札納め所」がある場合は、そこにお納め下さい。ない神社では社務所等にお持ち下さればお祓いしてお焚き上げ致します。
特に長いのが鶴岡八幡宮です。これは源頼朝公が鎌倉に幕府を開いた際に、京都を意識したためだと言われております。つまり京都の中心は御所で、ここから基盤の目のように道が造られているのを参照し、八幡宮を御所と見立て、参道を都大路に代わるものとしたのだと言われます。つまり京都における精神的な象徴であった御所に準えて神社を設けたため、参道が長くなったといわれております。
大いに関係があります。神社は本来、祭の中で語られたものでした。御祭神の信仰を語り継ごうとしたからです。しかし時間と共に次第に神話のみを孤立させ、脈絡のあるものとした結果、読ませるための神話が生まれます。とは言えその精神は一貫しています。たとえば古事記の神話が語るのは天皇陛下とその祭祀の意味で、日本という国柄の確信に触れる内容になっています。神楽が演じて信仰を表現したのに対し、神話は語ってそれを表そうとしたものなのでした。